富山県高岡市
江戸時代の城跡に社殿を構える一之宮は、全国で射水神社だたひとつ。
祭神が、瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)とされたのは、明治維新以降である。
それまでの、ちょっと複雑な神社の歴史について。
創建は奈良時代以前のこととされる。
社伝によれば、古代より二上山がご神体とされ、麓に二上神を祀っていたが、養老元年(717年)勅命により、二上山麓に「別当寺」が建立された。
そこから、神様と仏様の間で長い葛藤の歴史が始まった。
別当とは、
「寺院の運営以外の役目も兼務する官職」
のことである。
別当寺は、神社の祭神が仏の権現であるとされた神仏習合の時代に、
「神社はすなわち寺」
とされ、神社の境内に僧坊が置かれて渾然一体となっていた。
明治維新まで、神社で最も権力があったのは別当であり、宮司はその下に置かれた。
寺が、神社を管理する時代である。
その背景については、話が長くなるので、また別の機会に。。
射水神社の境内は、当初より二上全山に及び、越中国の奉納制度もあって隆盛を極めた。
戦国時代に社殿を焼失することもあったが、加賀藩の祈祷所になり、越中国一之宮しての格式を保持してきた。
にも関わらず、明治8年(1875年)に千年鎮座した地を離れ、高岡城跡に遷った。
その理由は、ざっくり言うと、
「狭くて、不便」
だった。。。。?
でも実は、
数百年にわたる養老寺の横暴に耐え兼ね、神代からの聖地である二上山麓をやむなく離れた。
とも言われる。
遷座当日、別れを惜しむ二上村の氏子達は神輿にすがりついて号泣したという。
神仏習合から廃仏毀釈までの長い長い歴史。。。
神様と仏様を色々言うのは、畏れ多いので控えるが、日本人は両方とも信じている。
どうか仲良く。。
【外部リンク】
https://www.imizujinjya.or.jp/