岐阜県高山市
創建時期は不明、神代の時代と伝わる。
祭神の御歳大神(みとしのおおかみ)は、かのスサノオノミコトの御子と伝わるが、別名「水無神」と呼ばれ、もともとのご神体は、神社西南の位山(くらいやま)だった。
標高1,529m、この地を流れる神通川(宮川)と飛騨川の分水嶺で、古代より麓地域に水の恵みをもたらす「作神(さくがみ)様」して信仰を集めていた。
ここで、飛騨の古代史上、ぜひ取り上げたい人物がいる。
名前は「両面宿儺(りょうめんすくな)」
第15代仁徳天皇の時代、勢力拡大を目指したヤマト朝廷に盾ついた飛騨の先住民である。
日本書紀では、身長は3メートル以上で頭が2つある怪人として描かれ、ヤマタノオロチと同じような扱いをされている。
ブナやナラの原生林に覆われた古代の飛騨地域は縄文文化が繁栄し、多くの遺跡が発見されている。
両面宿儺は、八百万の神を崇めた縄文人の生活を守ろうとして敗れ、悪役扱いされていったのだろう。
この地域の歴史には、土着の縄文人と、新興勢力の弥生人との葛藤と融合の名残を強く感じることができる。
飛騨は、古代史の分水嶺でもあった。
ぜんぜん話は変わるが、
ずっと昔、バイク旅の途中、豪雨の奥飛騨山中で立往生したとき、一晩お世話になった農家のおかあさん。
風呂の後、缶ビール出してくれて。
たまたまお盆で、名古屋からお孫さん来てて、
「ちょっと、この子達を花火大会連れていってくれる?」
と見ず知らずの自分に頼んできて。
預かった子供2人と出かけたら、よそ者が珍しかったのか、浴衣姿の女子中学生がたくさんついて来て。
険しい山間で空が狭く、静かで、こじんまりした花火を見上げて。。。
飛騨は、なんだか不思議で人を疑わない、素敵なところだった。
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