新潟県上越市
祭神:
大国主命(おおくにぬしのみこと)
奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
創建は、不詳。
古代より、「気多神」を祀る神社とされ、江戸末期までは、現社地より北西の身輪山(みのわやま)にあった。
一之宮になったのは、上杉家の崇敬を受けた室町時代以降と伝わる。
比較的、遅咲きの神社である。
境内には、親鸞上人の伝承「越後七不思議」のひとつ「片葉の芦葉」が群生している。
さて、ここでは祭神の1柱、奴奈川姫命(ぬながわひめのみこと)について。
古事記に「沼河比売」の名で登場する女神である。
高志国(越前・越後の前身)の沼河に住む姫は、あまりの美しさで評判だった。
それを聞きつけた大国主命は、はるばる出雲から求婚にやってくるという話。
沼河は、現在の糸魚川市を流れる姫川と思われる。
その姫川だが、古代からヒスイの一大生産地だっだ。
金よりも貴重品とされたヒスイ。
特に高品質の姫川産は、縄文時代早期から勾玉など装身具の原料として全国に流通していたのである。
隣国の王が、放っておく訳がない。
出雲を中心に各地に勢力を伸ばしていた大国主は能登半島に上陸し、地方を平定するともに、
「美しい沼河比売を求めて」
を口実に高志国の貴石ヒスイの覇権を狙った。。
のかも知れない。
居多ケ浜に上陸し、身能輪山に宮殿を構えた大国主は、恋敵を蹴散らし、ようやく姫を妻に迎える。
新婚生活を送りながら、
姫は出雲国に、ヒスイの加工技術や販売方法を
大国主は高志国に、農地開拓や砂鉄精錬の技術を伝えたという。
日本版「ローマのカエサルとエジプトのクレオパトラ」といったところか。
最後にちょっと、、
大国主の
姫とヒスイをひたすら求める旅への情熱が、神社名に残っている気がするのだが、どうだろうか。
能登・羽咋に到着→もっと北!→気多大社
能登・七尾に到着→もっと北!→気多本宮
高志・居多に到着→ここだっ!→居多神社。。。
お後がよろしいかどうかは、ちょっと。。
【外部リンク】
https://joetsukankonavi.jp/spot.php?id=166