大津市神領
主祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)
神社の歴史については、景行天皇46年(西暦117年頃?)、日本武尊の妃・布多遅比売(ふたじひめ)が御子とともに住んでいた神崎郡建部郷(現在の東近江市付近)に日本武尊を「建部大神」として祀られたのが創建と伝わる。
その後、天智天皇の時代になって、近江国瀬田(現在地)に移された。
以降、歴代の朝廷や名だたる武将を始め、多くの人々から崇敬を集めてきた。
源頼朝が平家に捕らえられ、14歳で伊豆に流された時も、途中、建部大社に立ち寄り、源氏再興を祈願したことが、平治物語に書かれている。
その絶大なる信仰の対象だったヤマトタケルについて少し。
高貴な血筋ながら、幼少期から体躯に恵まれ、成人した際には身長が2メートルを超えていたと言われる。
日本書紀には、父である第12代景行天皇の言葉が残されている。
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お前の人となりを見ると、身丈は高く、顔は整い、大力である。
猛きこと雷電の如く、向かうところ敵なく攻めれば必ず勝つ。
形は我が子だが本当は神である。
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弱冠16歳で、全国平定に出陣、西方から東国までの蛮族をことごとく討伐。
相模・駿河の地では、敵の攻撃をアマノムラクモノツルギ(現三種の神器・草薙の剣)で防ぎ、全員を返り討ち、死体を焼くという猛々しい伝説も残る。
ちなみに、その地が焼津という名になった。
まさに大和王権の軍事力のシンボルとなったヤマトタケルだが、凱旋途中、尾張の国で無念の最期を迎える。
享年30歳。
辞世の歌はこちら。
「倭は 国の真ほろば たたなづく 青垣、山隠れる 倭しうるはし」
以下訳、
大和の国は素晴らしい。
幾重にも重なる青い垣根のような山々に囲まれている。
本当に美しい場所だ。
地元に帰りたかったね~。
皇族の身でありながら、故郷を離れて戦いにあけくれた生涯だった。。
が、そんな多忙多難な人生を送ったヤマトタケルだが、実はお后が何人もいた。
両道入姫皇女(ふたじいりびめのひめみこ)
吉備穴戸武媛(きびのあなとのたけひめ)
弟橘媛(おとたちばなひめ)
山代之玖々麻毛理比売(やましろのくくまもりひめ、紀なし)
布多遅比売(ふたじひめ) 等々。
子供も、後の第14代仲哀天皇を含め、たくさんできた。
その辺は、どこかギリシャ神話と似ているような。
一目惚れするところとか。
絶対神ゼウスも出会った人間女性達と思いっきり子供をつくっている。
ペルセウスとか、ヘラクレスとか。。
どんなに忙しくても、大物はそういう時間を必ずつくる。。。
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