岐阜県不破郡
創建は、第十代崇神天皇(ざっくり紀元前100年くらい)の時代とされる。
祭神は、天照大御神の兄神とされる金山彦命(かなやまひこのみこと)。
明確な理由は不明だが、世界遺産の石見銀山を始め、古くから鉱山・金属業の総本宮として信仰を集めてきた。
が、戦国時代に荒廃した。
寂れた原因は、誰もが知ってる天下分け目の「関ケ原の戦い」。
今回は、その経緯について少し話してみたい。
関ケ原合戦については、NHKの「大河ドラマ」や「歴史秘話ヒストリア」とかでご存じだろうから、全体像は省いて、一部の話題について。
なんだかんだで、戦争することになった徳川家康(東軍)と石田光成(西軍)。
だが、西軍の名目の総大将は毛利輝元だった。
当日、毛利軍16000が陣を構えたのが南宮山。
その場所は、徳川東軍の背後で、西軍にとってはかなり有利。
にも関わらず、毛利軍は戦闘に参加しないまま、お味方全滅。
その理由は、
「毛利は、戦場では戦わずに東軍に協力する代わりに所領を安堵」
という徳川との密約があったから。。
毛利が撤退した後、南宮山は東軍に占拠され、麓にあった南宮大社も焼け落ちてしまった。
その後、徳川3代将軍家光の時代に、春日局(でたっ!)の強い要望で、大規模な再建工事が行われた。
理由は、春日局の父・斎藤利三の本拠地が美濃だったと言われるが。。
40年の間、岐阜の山奥で荒れはてた神社をどうして。。
岐阜羽島あたりは、雪が多くて、いっつも新幹線止まるよね~。
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