島根県大田市
祭神・宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、古代ヤマト王朝の治安部隊・物部一族の始祖と伝わる。
神武東征のクライマックスで、最後まで抵抗した叔父ナガスネヒコを殺害。
父のニギハヤヒノミコトが高天原から持ってきた神の宝
天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)
を神武天皇に献上。
同じ天孫族であることを証明し、恭順の姿勢を示した。
神武天皇は、これを受け入れ、
武神の象徴「フツノミタマの剣」
を授ける。
皇軍の将となったウマシマジは、各地に点在する敵対勢力の討伐を開始。
美濃、越後、越中、能登、加賀、越前を次々に平定する。
さらに播磨・丹波を経て石見国に入る。
鶴に乗ってやって来た。。と伝わる。
そこで最期を迎えたウマシマジ。
遠征に次ぐ遠征、戦い続けた生涯だった。
亡骸は、現在の社殿後方にある八百山に埋葬されたという。
以降、武力を背景に勢力を急拡大させた末裔達は、
武人の別称「もののふ」
からの
「物部(もののべ)」
を名乗るようになる。
物部氏という圧倒的な軍事力を手にしたヤマト王朝は、長く続いた諸豪族が争う時代を終わらせ、ついに全国制覇を成し遂げる。
多大な功績により、物部氏の王朝内での影響力は増し、ライバル大伴氏の失脚後は、まさに無敵の氏族となった。
がしかし、
潮目の変化は必ずくる。
仏教伝来。
他国の信仰と一緒に入ってきた最新の情報やテクノロジーを独り占めした蘇我氏が一気に台頭。
そのころ物部氏には、守屋(もりや)という優れたリーダーがいた。
にも関わらず、新しい時代に乗り遅れる。
日本古来の伝統を固く守ろうとしたのか。。
既得権益に溺れ、身動きがとれなかったのか。。
蘇我氏と対立しながら衰退していく物部の人たち。。。
が、しかし滅んだわけではない。
歴史の教科書には、なぜか「物部氏滅亡」とか書いてあるが、ありゃウソ。
平安以降の物部に関する資料、史跡も多く残っているし、
物部ゆかりの神社は、現在200社以上。
地域で厚く信仰されている。
石上さん、穂積さん、金子さん、長田さん、、、
あなたがた、子孫かもよ。。
【外部リンク】
https://www.mononobe-jinja.jp/