長野県諏訪市
諏訪大社とは、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社の総称である。
本宮
前宮
春宮
秋宮
主祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、神話によれば、出雲国譲りの際、ヤマト王朝の追撃を逃れ、諏訪に住み着いたと伝わっている。
神社に本殿はなく、本来のご神体は本宮後方にそびえる守屋山である。
社殿は、諏訪湖を囲むように配置されていることから、古来から諏訪全体が神域だったとも考えられる。
毎年春に行われる御柱祭を始め、諏訪独特の風習や信仰形態は、今まで多くのメディアで取り上げられ、語りつくされた感があるので、さらにかぶせて述べる事はちょっと控えたい。
ということで、神社とは直接関係ないかもしれないが、ここでは諏訪神が崇められていたもっと昔の、縄文時代のことを少し。
一般に縄文時代とは、地球上で氷河期が終わり、日本列島も温暖化していった1万6千年前~3000年前のことをいう。
期間が1万年以上もあるので、早期、前期、中期、後期の4つに分けられ、9万ヶ所以上の遺跡が発見されている。
その中で、縄文中期(5500~4500年)の遺跡は、諏訪一帯に3000以上あり、全国ナンバーワンの規模を誇る。
その時代の日本の都は、諏訪だったのである。
温暖な気候の中、各地で主食の栗栽培が進み、定住集落が巨大化していった。
また、海岸線が安定した事で、丸木舟を利用した海上からの物資輸送も盛んになり、無駄な争い事のない縄文人の暮らしは、益々豊かになったと考えられる。
そんな中、なぜ諏訪が縄文の都だったのか。
それは、列島屈指の
「黒曜石生産」
の拠点になったからである。
黒曜石とは、火山岩の一種で、黒くガラスに似た性質を持ち、割ると鋭い断面をもつことから、先史より世界中で刃物や武器として使用されてきたものである
国内では、約70ヶ所で採れるが、良質な黒曜石生産地はほんの数か所に過ぎない。
その代表的な場所が諏訪を含む、霧ヶ峰周辺の地域だった。
青銅器や鉄器のない時代、黒曜石は人々の生活には不可欠なものである。
さらに、諏訪で生産される黒曜石には、他にはない特徴があった。
「美しい」
のである。
そう、諏訪の黒曜石は、単なる生活必需品ではなく、アクセサリー、いやジュエリーとして流通したのである。
高付加価値ビジネス。
今でいえば、ヘンケルがティファニーとタイアップして作ったナイフ型のピアスのようなものだ。。。か?
縄文に流行した諏訪ブランドの痕跡は、今も列島各地に数多く残っている。
その一方で、独自の産業で、十分豊かだった諏訪が、時代に乗り遅れて、弥生バブルに乗れなかった理由も、実はこの辺にあるか。。ありがち。
・・・
ところで諏訪湖は、冬の夜景が素晴らしい。
個人的なお勧めは、油屋旅館の屋上露天風呂。
極寒(-10℃とか)が、逆に極楽!
【外部リンク】
https://www.itoenhotel.com/aburaya/