全国一之宮シリーズ、最終コーナーの九州に入る。
大分県宇佐市
創建は、欽明天皇の御代、西暦571年と伝わる。
全国には、11万以上の神社があるらしいが、
その中で最多の4万を超える八幡神社の総本宮が、宇佐神宮である。
今回は、祭神・15代応神天皇について。
古代の女傑・神功皇后が、神憑りして産んだ皇子と伝わる。
通称・八幡様とも呼ばれる。
イメージとしては、日本に大陸文化が真っ先に入ってきた九州北部に生まれ、土着の信仰や仏教を巻き込みながら国家神へと発展。
更には武家の守護神になって、日本全国へ浸透していった強力な神様という感じ。
日の神
火の神
鍛冶の神
歴史上、八幡の名が知れ渡るようになったのは、
源氏の氏神となり、
霊威も強力な武神として祀られてからである。
平安末期、源義家は、7歳の時に京都の岩清水八幡宮で元服し、
「八幡太郎」
と名乗った。
後に末裔の頼朝は、平家を滅ぼし鎌倉に幕府を開く。
政権の拠点としたのが、鶴岡八幡宮。
以降、600年以上続く武士の世で、八幡信仰は武家社会だけでなく、全国の一般庶民の間にも広がっていった。
「神風」という言葉がある。
15万の蒙古軍が、九州北部へ侵攻した際に吹き荒れた暴風雨のことである。
国難を救ったのは、まさしく八幡神のご威光とされ、国家鎮護の神、武神としての名声を決定的にした。
ただ、ちょっと言いたいのは、歴史上、神風と言ってもよい奇跡的な力が働いたのは、この元寇と日露戦争の黄海海戦だけではないだろうか。
これまで、日本はいくつかの国際紛争を経験してきたが、ほとんどのケースで八幡神は力を振るっていない。
ギリギリまで死力を尽くして天命を・・・
で、やっと話だけ聞いてくれるのかも。
神様側からすると、
最初っから
神様お願い!
だけではね~。。。
賽銭の額にもよるけど。。
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