佐賀県佐賀市大和町
創建については、欽明天皇25年(564年)に與止姫の神が鎮座したのが始まりとされる。
祭神は、與止日女命 (よどひめのみこと)
神功皇后の妹とも、
神武天皇の祖母、豊玉姫とも、
竜宮城の乙姫とも、
古すぎて、いまだ謎の多い女神である。
そこで、ここでは諸説のひとつをご紹介したい。
北部九州には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あるが、6社が嘉瀬川流域にある。
嘉瀬川は、古代「佐嘉川(さかがわ)」と呼ばれていた。
「肥前国風土記」によると、かつて川の上流には、荒ぶる神が棲みつき、通行人の半分を殺したという。
困り果てた役人は、まだヤマト朝廷に服属していなかった豪族の女性「大山田女」と「狭山田女」に祈祷を願い出る。
二人は、土で馬と人を造り、荒ぶる神を祀ったところ、惨事はピタッと止んだという。
感謝された二人は、以後「賢女(さかしめ)」と称えらえた。
これが、「佐賀」の地名の由来である。。。。か?
後に、この二人か、どちらか一人が、與止日女神となったのではないか。という説。
古代、ヤマト朝廷に服属しない豪族は、
「土蜘蛛(つちぐも)」
と呼ばれた。
天皇への恭順しない土着の民の蔑称であり、後に蜘蛛の姿をした妖怪にされてしまった。
その分布領域は、
豊後国に4
筑後国に1
肥後国に1
日向国に1
大和国に5
越後国に1
常陸国に3
と全国に点在するが、肥前国には7カ所もあったと記録されている。
「つちぐも」という名は「つちごもり」に由来しているとされ、横穴のような住居で暮らしてた様子から付けられたとも言われる。
熊本にある謎の遺跡「トンカラリン」的もその一つかと。。
首長の名前には、「女」(め)や「媛」(ひめ)が使われている場合もあり、女性が霊力をもって治めていた地域もあったのかも。。。
「大山田女」「狭山田女」は、土蜘蛛一族の巫女だったのか。
はたまた、女王だったのか。
各地に存在するヤマト政権に逆らった女性達の存在。
速見村の速津媛(はやつひめ)とか
山門郡の田油津媛(たぶらつひめ)とか
五馬山の五馬姫(いつまひめ)とか・・・・・
全国いたるところに卑弥呼がいたという話である。
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