佐賀県三養基郡みやき町
創建は、神亀元年(724年)と伝わる。
当時の役人、壬生春成が猟をしていると、一羽の白鳩が飛んできて春成の弓先に止まった。
不思議に思った春成は、その晩、夢を見る。
一人の白髪の老人が夢に現れて、
「八幡大神のご臨降である。」
と言って千個の栗の実を授けた。
翌朝、春成は、猟をした場所へ行ってみると、千株の栗の木が一夜のうちに生い茂っていた。
このことを聖武天皇に奏上したところ、大変に喜ばれ、祭祀の場として社が建てられた。
という伝承が残っている。
で、ここでは、まったく違う話をしたい。
覚えているだろうか。
オリンピック柔道金メダリスト
古賀稔彦(こがとしひこ)
佐賀県出身の天才柔道家である。
兄の影響で小学1年生から柔道を始め、中高大とタイトルを総なめ。
得意は、大技一本背負い
1988年、21歳でソウルオリンピックに初出場。
1990年、軽量級ながら全日本柔道選手権で無差別級に参戦し準優勝。
決勝では、世界チャンピオン小川直也と対戦し、あわやというシーンを見せる。
2年後のバルセロナオリンピックでは、選手団主将を務めたが、、、
直前の練習で左膝の大ケガをしていた。
歩けないほどの痛みを乗り越え、金メダルを獲得した。
彼の名言がある。
絶望的なケガをした瞬間、、
「これで俺は金メダルを取れると思いました」
大ピンチになったからこそ、絶対乗り越えようという意欲が沸いた、という意味。
その古賀稔彦が、子供の頃から何千回、何万回と上り下りを繰り返し、足腰を鍛えたのが、千栗の八幡様に至る146段の石段である。
あまりにも頑張るから、八幡様と神功皇后が、乗り移った。。。
のかもね。
【外部リンク】
http://www.miyakikankou.jp/main/53.html