大分県大分市
古来より、豊後を代表する宇佐八幡の別宮とされる。
ここでは、主祭神・14代仲哀天皇について。
容姿端正、身長一丈(180cmくらい?)。
父は、神話のヒーロー・ヤマトタケルノミコト。
妻は、誰もが知る伝説の女傑・神功皇后。
大スター達に囲まれた14代天皇である。
にも関わらず、死後に付けられた諡号(じごう/おくり名)である「仲哀」には、なんとなくもの悲しい雰囲気を感じる。
伝承によれば、大和から九州の熊曾(くまそ)を征討するための遠征中に死んだとされる。
仲哀天皇は、筑紫の香椎宮で神の意志を占った。
その際、妻の神功皇后が神懸かりして、
「金銀財宝の豊かな国・新羅を攻めよ」
とのお告げを受けた。
が、その言葉を信用しなかった仲哀天皇は、神の怒りにふれて急死してしまう。
その後、神の意志を確認した神功皇后は、亡き夫の意に反して新羅遠征を敢行。
さらには神の子・応神天皇を産んだ聖母として、崇められることになる。
神功皇后から応神、仁徳へと続くヤマト王権の躍進は、まさに仲哀天皇の死が起点になっている。。。気がする。
その陰には、新羅遠征をきっかけに、一気に王権拡大を目指す勢力があったのでは。
三韓征伐に否定的だった仲哀天皇は、実は暗○されたのでは。。
大昔の話だからね~。
事実はわからん。
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