山口県下関市
さあ、今回から瀬戸内海。
山陽道を東に。
住吉神社としては、摂津国、筑前国に次いで3社目の紹介となる。
特徴としては、なんといっても社殿。
本殿は応安3年(1370年)に周防、長門、石見の守護大名・大内氏によって造営された。
現在、国宝に指定されている。
千鳥破風で飾られた5殿が一列に並ぶ様子が、美しい。
祭神は、正面左から
第一殿:住吉三神(荒魂/あらみたま)
第二殿:応神天皇
第三殿:武内宿禰命
第四殿:神功皇后
第五殿:建御名方命
神社の創建には、神功皇后が関係していると伝わっている。
日本書紀には、三韓征伐についての記述がある。
新羅に向う神功皇后の前に住吉三神が現れ、
「航海を守護する」
とお告げがあった。
その後、勝利して帰還を果たす途中に、また住吉大神が登場。
「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」
と神託を受ける。
これが長門国一之宮・住吉神社の起源とされる。
魏志倭人伝に登場する卑弥呼が生きた時代である。
軍船を率いて海を渡り、無事に戻る事がどれだけ困難だったか。。
想像もつかない。
夫・14代仲哀天皇が、お告げを信じず、熊襲討伐に失敗。
命を落とした事もあって、皇后は神様を深く信仰したという。
住吉神に感謝した皇后は自ら身を清め、築造したばかりの祭殿に数日籠った。
統一国家を目指すヤマト王朝にとって、
「住吉さん」は、
国際化の時代に、海上交通の安全を保証し、
先端技術や文化の流入を進める役割をもつ
国際交流の守護神
でもあった。。と思う。
とういう訳で、島国日本の港々に住吉神が祀られるようになった。
ちなみに、神功皇后が行った神事のなごりは、現在「御斎祭(おいみいさい)」として残っている。
毎年12月8日夕刻から15日の朝にかけて、神社にしめ縄で「結界」を張り、外界との交流を断つ。
一般客も参拝することができない。
この期間、神官と巫女は神社に籠り、お粥、漬け物、お湯だけで過ごすという。
神社なのに、酒飲めないなんて。。。。
たまに神様はムゴい。。
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