宮城県塩竈市
主祭神:
鹽土老翁神(しおつのをぢ)
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
不思議なことがある。
境内には、正面に武甕槌命(鹿島神)と経津主神(香取神)、右側に塩土老翁神が祀られている。
主祭神が、別宮である。
明確な理由は不明だが、
本宮は、伊達家の守護神である鹿島・香取の両神を藩主が仙台城から遥拝できるように南向き。
別宮は、主祭神・塩土老翁神が海を背して海難を防ぐ。
という意味ではないか。。と伝わる。
建物の様式が日光東照宮に似ているのは、4代藩主伊達綱村が東照宮改修に携わった職人達を呼び寄せて、造営工事を行ったから。
元々の創建については、神話の時代、三神がこの地を訪れ、東北平定後に塩土老翁神だけが残り、人々に製塩技術を伝えたのが始まりとされる。
以降、東北鎮護、海、製塩、交通、安産の神として多くの信仰を集めてきた。
もうひとつ、古代から鹽竈神社が発展してきた理由として、多賀城との関係がある。
多賀城には、奈良から平安時代にかけて陸奥国の国府が置かれ、ヤマト朝廷の東北最重要拠点とされた。
鹽竈神社は、多賀城の東北の方角、いわゆる「鬼門」の守護神だったのである。
ところで、この多賀城だが。。
歴史はもっと古いと言われる。
たまに紹介する「ホツマツタヱ」には、3000年前の多賀城の話が出ている。
この場所は、当時東北地方を治めた「トヨケ王」の拠点だった。
伊勢神宮の外宮に祀られる豊受大神のことである。
しかも、富士山麓で生まれたアマテル(天照大御神)が、この地で帝王学を学んだとも書かれている。
その他、
「一時期、ヤマト王朝の都だった」という説あり。
「古代、日高見という王国があった」という説あり。。。
宮と城、、、、宮城。
縄文末期、この地は豊かで列島最大の都市国家だったのかもしれない。。
すんずるか、すんずないがわぁ、あんたすだいだぁ。
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