1月25日(木)~1月30日(火)の6日間、博多区上川端町のはかた伝統工芸館にて「博多人形商工業協同組合青年部作品展(噛みそう。。)」が開催される。
このイベントでは、次世代の人形作りを担う若手作家7人による新作の展示・販売が行われる。
期間中は、作家達による博多人形の色彩実演など、普段見ることがない人形作りの現場を体験することができる。
で、本題に向けての話に移って行くが、この7人のうち5人は「博多人形・白彫会(はくちょうかい)」という団体に属しているらしい。
白彫会は、戦後の23年に当時の若い人形師9人により新しい人形作りの目指して結成されたグループで、定期的に新作展を開催して、博多人形の発展、向上に努めてきた。
んで、今日の本題。
白彫会の会員リストを見ていると、どうも見覚えのある名前があった。
白水宗邦
他の会員のページには、本人の写真やプロフィールに加え、公式ウェブサイトやFacebookのアドレスなどが公開されているのだが、この人だけは本人の名前と作品の写真のみ。
思い出した。
わがまち住吉2丁目のとある路地裏に小さな看板を掲げた古民家がある。
看板の文字は擦り切れてほとんど読めないが、よくよく見るとこう書いてある。
通商産業大臣指定
伝統的工芸品産業
博多人形
博多人形商工業共同組合員之証博多人形
白水宗邦
そう、前述の人形師である。
で、調べてみるとこの「白水」という家柄。。。
博多人形のルーツとも言える家系だった。
時代は、500年前の江戸時代初期にさかのぼる。
元々、京都の細工人形師だった「小堀家」という人々が、櫛田神社境内に移り住み、鎌倉時代から山笠人形制作を手掛けた。
その後、江戸時代には同じ人形ながら、全く違う土からなる素焼き人形を生み出し、全国で人気の工芸品に成長させたが、諸事情により明治初期に廃業。
それを継いだのが、小堀家の流れをくむ人形師白水家の初代、白水仁作だった。
現在、7代目・白水英章氏が、長く受け継がれる技巧を今に伝えている。
わがまち住吉にお住まいの白水宗邦氏は、英章の叔父にあたる。
今後は、そちらに足向けて寝ないようにします。。。
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