博多区博多駅前4丁目、住吉通り沿いの一角に、ほとんど人目につかない(でも結構でかい)石碑 が建っている。
そこには、「人参畑塾趾」の文字。
実はこの場所、江戸から明治にかけての時代、女性儒学者で医者・高場乱(たかばおさむ)が開いた 私塾「興志塾」があったところである。
旧町名は人参町168番地(現在の博多駅周辺)、黒田藩の薬用人参畑があったことから、塾の名も通称「人参畑塾」とも呼ばれた。
医学とともに教育にも大きな関心があった高場は、時代が大きく変化するこの時期、地元福岡で将来の日本を担う人材を育成することを志し、設立したものである。
名前が「乱」で、9歳で藩に名字帯刀を許され、10歳で元服。
16歳で、一度結婚(男と)したが、なんと自ら離縁状を突きつけている。
どう見ても男勝り(ていうか男)の人生。
そんな迫力ある女性教育者を慕い、集まってきた塾生は実に300人を超え、後に国家の中枢や自由民権運動で活躍した人材を多く輩出した。
体制派、反体制派を問わず、あらゆる人々を色んな形で啓蒙し、「人参畑の先生」として広く尊敬を集めた。
地位も名誉も、もちろん金にも頓着せず、ひたすら門弟達の教育に人生を捧げた59年。
現在、その墓は博多区千代の黒田家の菩提寺・崇福寺にあり、墓碑名「高場乱先生の墓」の文字は、ご存じ勝海舟が書いたものである。
大人物だったということ。
それにしても、今も昔も博多女性の自立心は強い。
男は支えられっぱなしである。。。