鹿児島県霧島市隼人町
創始は、社伝によると遠く神代と言われる。。
祭神、天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)
長い。。つまり山幸彦である。
現在地に遷座されたのは、和銅元年(708年)。
山幸彦は、天孫降臨の主役・ニニギノミコトの皇子である。
母は、コノハナサクヤヒメ。
兄は、海幸彦。
古事記によれば、この兄弟は、それぞれ釣針と弓矢という「幸」を持っていた。
ある時、海幸彦と山幸彦は「幸」を交換してみたが、うまくいかなかった。
そこで「幸」をお互いに返すことにしたが弟は兄の釣針を亡くしてしまった。
兄の許しを得られない山幸彦は、釣針を探しに海神の宮へ向かう。
釣針は見つかったが、海神は山幸彦を引き留め、娘の豊玉姫を娶らせる。
3年間、海宮で過ごした山幸彦は、豊玉姫ともに陸へ戻り、大王となる。
その後、誕生した皇子が、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
神武天皇の父である。
その後、山幸彦は、580年、、、、!!!!!!の超長寿を全うし、死後は高千穂山の西に葬られた。
という神話。
まぁ、南九州には、各地にビックリするような伝承がたくさんあるが、それもこれもこの歴史の長さ故。
歴史の長さと言えば、ちょっと紹介したいものがある。
鹿児島神宮の南東およそ8キロ地点。
上野原遺跡
1986年(昭和61年)に発見された。
以降、10年かけて行われた発掘調査で、日本列島で最古の大規模な定住集落跡だったことがわかった。
弥生土器に類似した1組の壺形土器が発見されたのは、7500年前の土層から。
9500年前の竪穴式住居も発掘されている。
隼人の地には、天孫降臨神話の遥か前から人々が暮らしと、自然神への信仰があったに違いない。
鹿児島神宮は、その跡地かもね。
ということで、青森の三内丸山遺跡の発見で定着した通説「縄文文化は、東日本で栄えた」という常識が、ひっくり返ってしまったというお話でした。
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