岡山県岡山市北区
神体山“吉備の中山”の北東麓に鎮座する。
もともとは、祭神・大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)の住居跡だったと考えられている。
夏至の日の出には、正面鳥居から真っ直ぐ太陽の光が差し込み、神殿の鏡に当たることから、通称「朝日の宮」とも呼ばれている。
ということで、邪馬台国女王卑弥呼の弟説もある吉備津彦について少し。
その伝承は、「桃太郎の鬼退治」に似ている。
要約すると。
吉備津彦の元の名は、五十狭芹彦(いさせりひこ)と言う。
第7代孝霊天皇の皇子である。
第10代崇神天皇の時代に、朝廷の命で、山陽道の平定に向かうことになった。
その時、直近の家臣の中にイヌ、サル、キジ。。
じゃなくて、
犬飼健(いぬかいたける)
楽々森彦(ささもりひこ)
留玉臣(とめたまおみ)
という3人の猛者がいたという。
遠征に向かった一行は、吉備国で、温羅(うら)という鬼と遭遇する。
異国から渡来し、この地で製鉄を興した鬼。。
身長4.2m!
赤髪の異様な姿で性格はきわめて凶暴。
「鬼の城」を拠点に、暴虐の限りを尽くしていた。
五十狭芹彦は、3人の家臣とともに「vs温羅戦」を慣行。
激戦が続く中、五十狭芹彦が放った矢が温羅の左眼に命中。
ひるんだ温羅は、
キジに化けて?逃げた。
五十狭芹彦は、
タカに化けて??追いかける。
さらに温羅は
コイに化けて???逃げたので、
五十狭芹彦は、
鵜(う)に化けて????捕まえた。。。
降参した温羅は、五十狭芹彦に「吉備一の君」の名を献上。
以後、「吉備津彦さま」と呼ばれるようになった。
という話。
桃からは生まれなかった様だ。。
家来3人が、ダンゴに釣られたかは不明。。
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