広島県廿日市市
人間の創造性というものは、大したもので、たまにこんな圧倒的な造形美を生み出すことがある。
海を敷地とした独創的な配置構成、平安の建築技術「寝殿造り」の粋を極めた日本屈指の名社と言える。
推古天皇元年(593年)の創建。
祭神は海神「宗像三女神」
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
日本書紀には、
ニニギノミコト「天孫降臨」の際、アマテラスから道中の安全確保を命じられた神様
とある。
神社の鎮座する厳島(宮島)は、古代から島そのものがご神体とされた。
厳島中央の弥山(みせん)山頂には巨石が連なり、この地が山岳信仰の対象だったことが容易に想像できる。
平安時代末期、平清盛が一門の氏神として社殿を造営。
以降、平家の繁栄とともに栄えていった。
ここでは、その平家について少し。。
TV番組などで「源平合戦」が、「源氏と平氏の戦い」と言われることが多い。
が、「平家物語」のように、「源氏」に対して「平家」という名がよく使われる。
どう違うのか。
厳密にいうと、平家とは平氏の一部を指す。
古代より、天皇家から離れて家臣となる際、氏族達は姓をもった。
当初は色々あったが、奈良時代に「源」と「平」に限定される。
ともに公家として朝廷の一員だったが、平安中期、藤原氏が要職を独占。
リストラ状態になった源平の人々は、しかたなく地方に下り、武士化した。
が、その中で下級官僚として中央に居残り、「平」を捨てない一族がいた。
「伊勢平氏」
これが「平家」である。
朝廷内での力はなく、ずっと閑職で耐え忍ぶ時期が続く。
潮目が変わったのは、百年後。
4代目正盛(まさもり)が、各地で起こる反乱をことごとく鎮圧。
次々に武勲を挙げて、大出世と遂げた。
5代目忠盛(ただもり)は武勲だけではなく、和歌や舞など芸術の素養もあった為、宮廷内でも大人気となる。
さらには、日宋貿易で大成功。
巨万の富を築いた。
宗像神による航海上のご加護あったか。
で、6代目。
平清盛(きよもり)の登場である。。。
なのに、7代目宗盛(むねもり)で没落。
やっぱ、あれだね。
一気に行ってしまうと、その後は一気にね。。いやぁ難しい。。。
ところで、神様と言えば「酒」
広島と言えば酒の都「西条」
宮島の古戦場跡「包ヶ浦」は現在キャンプ場になっている。。
流川でもいいけど、、
満点の星空の下、鹿を追い払いながらの「賀茂鶴」は最高だった。。。
はぁ、飲んでみんさいや!
【外部リンク】
http://www.itsukushimajinja.jp/index.html