島根県出雲市
誰でも知ってる出雲大社について、解説は不要と考える。
そこで、
古代神話のクライマックス「国譲り」は、なぜ起こったのか。
古事記・日本書紀とは、少し違う説があるので、ご紹介。
歴史書「ホツマツタヱ」より
スサノオの三男オオナムチ(大国主)は、出雲の開発事業を引き継ぎ、さらに豊かな国土を建設していった。
プライベートでも多くの妻を娶り、子供もガンガンつくった。
そこまでは、まだOK。
勢いあまって、アマテルカミ(天照大御神)や皇太子の居住地をはるかに凌ぐ巨大神殿を造ってしまった。
高さは、48mとも96mとも言われる。
しかも、オオナムチは、それを自慢して回った。
「やり過ぎた」
伊勢に報告が入る。
「まるで、出雲が朝廷であるかのごとく振る舞い、自分たちの宮をウチミヤ(朝廷宮の意)と称して、我々を軽んじている。」
当時は、列島各地で反乱が相次ぐ時代で、政治体制も不安定。
出雲の勝手な振る舞いを許すのは、王朝の威信を揺るがしかねない事だった。
何度も使者を送るが、当の使者が懐柔されて、うまくいかない。
そんな中、殺傷事件が発生。
出雲側に丸め込まれて、いつまでたっても帰ってこない朝廷側の使者が、新しく遣わした使者を射殺してしまう。
一線を越えてしまった状況で、とうとう朝廷軍が派遣される。
オオナムチ一族は、出雲から追放され、東北地方へ流れていった。
という話。
似たようなエピソードが、もうひとつある。
戦国時代。
織田信長の先祖は、越前国二之宮・剣神社(つるぎじんじゃ)の神官だった。
祭神は、出雲の始祖・スサノオノミコト。
織田家は、剣大神を氏神とし、格別の信仰をもって多額の寄進をしてきた。
もともと信心深かった一族。
なのに、末裔の信長が琵琶湖東岸に造ったのは「安土城」
戦国時代において、山城は領主の防衛拠点であり、外敵に備えて堅固な構造になっているのが常識。
侵入経路も迷路のようになっているものだが、安土城の場合、正面の門から頂上の本丸まで、石段を一直線に組んでいる。
天守閣は、古代出雲の神殿のようにも見える。
安土城は、祭神を信長大御神とする日本史上最大の神社だったのである。。
「やり過ぎた」
で、本能寺の変。。
仕事できる人も、まぁ「いい加減」にしとけばね~。
【外部リンク】
http://www.izumooyashiro.or.jp/