京都府亀岡市
主祭神:大国主命・三穂津姫命
島根の出雲大社は、江戸時代末までは「杵築大社(きづきたいしゃ)」と呼ばれていた。
意外な話だが、「出雲の神」と言えば「丹波国一之宮」のことだったのである。
この神社が、「元出雲」と言われる所以である。
創建は、和銅2年(709年)と伝わっているが、
この地域には古くから、社殿後方の御蔭山(みかげやま)をご神体として祀る信仰があった。
祀られていたのは、
「国之常立神(くにのとこたちのかみ)」
聞きなれない名前だが、『日本書紀』で最初に登場する神である。
「現れた。」
「いなくなった。」
程度の記述なので、ほとんどイメージがわかない。
ということで、
「国之常立神は、〇〇だった!」説
を3つ紹介したい。
その1
「龍神だった!」説
まだ地球のドロドロで緩まっていた頃、日本列島ほどの大きさで、金色の龍の形をした大国常立尊という神がいた。
この神から生まれた風の神、雨の神たちの中に
人の姿となって現れたのが、国之常立神だった。
その2
「エンマ大王だった!」説
もともと世界を支配する神として君臨していたが、その統治があまりに厳しいため、愛想をつかした他の神々から、鬼門の方角に閉じ込めてられてしまった。
それから3千年、霊界にいた国之常立は、閻魔大王となった。。。
その3
「縄文人だった!」説
クニトコタチは、神ではなく人。
縄文人のDNAを受け継ぐ日本人の祖先である。
紀元前7千年から4千年頃、日本列島が亜熱帯化していく時代、クニトコタチは、琵琶湖の西側に都を開いた。
その後、温暖化とともに一族を率いて北に勢力を拡大。
東北の地を「ヒタカミ」と呼び、第7皇子の子孫が治めることとなる。
故郷にもどったクニトコタチは、死後、丹波の御蔭山に埋葬された。。
クニトコタチの墓所として祀られ、1万年の間にご神体となったのが、御蔭山の由緒であり、出雲大神宮の起源。
以上。
どうだろうか。
やっぱ、エンマ様説が有力。。。?
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