新潟県佐渡市
創建の由緒は、不明。
文禄2年(1594年)羽茂川の洪水で、社殿、古文書など、一切を流失した。
社地は、現在より海岸近くにあったと言われるが、それも定かではない。
神様関係の記録もないので、再建時に神道家の橘三喜(たちばなみつよし)が決めたらしい。
主祭神は、五十猛命 (いたけるのみこと)とされた。
木の文化を司る林業・建築業の神である。
明らかに漁業メインの佐渡島で、なぜ木の神様が一之宮なのか。
神社名「わたつ」についても、真っ先に「わだつみ」を連想する。
浮かんでくるのは海の神様で、綿津見三神とか住吉三神とか。。
いったい、何を根拠に祭神を決めたのか。。。
ここでは、その背景を妄想したい。
佐渡と言えば、、金。
平安時代に発見された金鉱脈は、その後、江戸幕府が天領として独占した。
最初に徳川家康が金山奉行として派遣したのが、旧武田家家臣の大久保長安という人物である。
武田といえば、領地で採掘された金銀によって成り上がった戦国大名。
その鉱山開発のノウハウをもった長安の赴任で、佐渡は文字通りゴールドラッシュに沸くこととなる。
あと、ひとネタ。
長安は、武士ではなく能楽師として家康に仕えていた。
金を掘れる芸能人
だったのである。。
父は、猿楽師・金春 (こんぱる) 七郎喜然。
武田家で、堀越家(海老蔵のご先祖)とともに猿楽・能の一大文化を築いた人物である。
長安は、佐渡赴任の際に、奈良から2人の能楽師を連れてきた。
これが、佐渡が「能楽の島」となるきっかけになった。
能というと、室町時代に流罪になった「世阿弥」のイメージがあるが、庶民に広がったのは、江戸時代以降である。
話を祭神にもどすが、
能には、「翁」という重要な役柄がある。
「摩多羅神(またらじん)=荒ぶる神」を表現しているとも言われ、イメージは神話の主役スサノオとかぶる。
度津神社の祭神・五十猛命は、スサノオの子である。
奔放な親子神。
大きな権限を持つお奉行様なら、一神社に祀る神様の事など、どうにも出来たに違いない。
長安が、祭神に選んだのは、能に親しむ庶民のための自由な神様だった。
仕事ができる長安はプライベートも豪快で、側女を7~80人かかえ、鉱山視察には遊女や能楽師を何人も引き連れていたという。
無類の遊び好きである。
金は、徳川のもの。
能は、島民のもの。
金鉱は採りつくしたが、能楽堂は30以上残り、今も佐渡の伝統文化&娯楽施設として大切に守られている。
長安は、そのことを初めからわかっていたのでは。
という妄想でした。
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