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【上野国一之宮】一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)と先住豪族の運命

群馬県富岡市

 

階段を下ると楼門にたどり着く。

 

このような配置の神社は「下り宮」「下り参りの宮」と呼ばれる。

 

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社伝によると、創建は安閑天皇元年(532年頃)、朝廷の命で派遣された物部姓磯部氏が、氏神・経津主神(ふつぬしのかみ)を祀ったのが始まりとされる。

 

国譲り神話の中で、旧境内地の安中市鷺宮は、諏訪に逃げ込んだ建御名方神を追ってきた経津主神が陣を構えた場所とも伝わる。

 

本殿、拝殿、楼門は、寛永12年(1635年)徳川三代将軍家光により造営された。

 

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その後、元禄11年(1698年)五代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった。

 

ここでは古代史、創建時期の安閑天皇の時代が、上野国にとって歴史の大きなターニングポイントだったことを紹介したい。


大きな内戦があった。

 

「武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の乱」

 

国造とは、地方の行政区域を治める官職のことで、

 

笠原直使主(かさはらのあたいおみ

 

が役にあったが、

 

同族・笠原直小杵(かさはらのあたいおき

 

との間にポジション争いが勃発。

 

地元の有力豪族・上毛野氏(かみつけのうじ)が、小杵側に加担した。


形勢不利な使主は、大和の地に逃げ込み朝廷の援護を要請したことで、

 

中央の豪族・磯部氏

 

が乗り込んでくる事態となった。

 

どこかで聞いたような話。


弥生時代、この地域は毛人国と呼ばれ、ヤマト王権の所属でありながら実質的独立を保っていた。

 

第十代崇神天皇の流れをくむ上毛野氏は、それまで東国の支配者として弥生の春を謳歌していたのだが。。


結果、小杵は敗死、争いも速攻鎮圧された。

 

その後は、貫前神社をはじめ、畿内豪族たちの氏神を祀る神社や直轄領、前方後円墳などが続々と造られていく。

 

時代の流れの中、上毛野氏は

 

「上野(こうずけ)」

 

の名だけを残し、衰退していった。

 

あくまで伝承に基づく話なので、事実は定かでないが、この時代にヤマト王朝の勢力を一気に拡大したことだけは確かである。

 

今までに、豪族居館跡とともに20基以上古墳が発見されており、規模は関東最大級である。

 

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北関東のニューリーダー磯部氏は、物部の姓を与えられ、地域の勢力基盤を盤石なものにしていったことがわかる。

 

蘇我氏に滅ぼされるまでは。。

諸行無常。

 

ところで、群馬名産の「下仁田ネギ」は、いつから栽培されているのか不明である。

 

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日本書紀にも記述があるネギ。

 

古い野菜である。

 

元々は、中国西部から中央アジアが原産なので、渡来系の上毛野一族が持ち込んだのかもね~。

 

鍋にもいいけど、そのまま焼くだけで絶品。

 

風邪もひかない。

 

 【外部リンク】

 

http://www.nukisaki.or.jp/index.html