愛知県一宮市
主祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)
社伝によると、創建は神武天皇33年(紀元前600年ごろ)。
今は祭神として祀られる天火明命が、大和の国から尾張に移り、鎮祭を行ったのが起源とされる。
真清田(ますみだ)の語源は定かでないが、尾張の国が木曽川流域で、灌漑用水による水田開発や水上交通が盛んだったことから、豊かな「水」文化で発展した地域であることを象徴する名前がつけられたのではないか。
それもあってか、境内には龍神っを模った手水舎や霊水が飲める神水舎など、水神を祀る社が点在している。
また、中世以降は神事として伝統芸能が盛んになり、鎌倉時代に第84代順徳天皇より多数の舞楽面が奉納された。
そのうち7面が、重要文化財として残されている。
という訳で、地域の人々にも、歴代皇室にも崇敬された神社なのだが、その出世街道には注目すべきところがある。
国史において最初に登場するのは、承和14年(西暦847年)。
それまでの無位だった社格が、従五位下に。
仁寿元年(851年)、従四位下に。
貞観7年(865年)、正四位上に。
延長5年(927年)、「真墨田神社明神大」に。
格上だった熱田神宮や大縣神社をごぼう抜きして、とうとう一之宮になった。
社領(神社の領地)の規模も桁外れで、嘉禎元年(1235年)の文献には、尾張国8郡のうち4郡が、真清田の荘園だったとある。
国の半分が、一神社のものだったということ。
しかも海沿いと川沿いばかり。。
平安から鎌倉にかけての時代に、なぜそこまで栄えたのか。
政治力か。
経済力か。
武力か。
それとも、、、。
詳しいところは不明である。
その後、天正12年(1584年)大地震で社殿が崩壊。
豊臣秀吉に領地も没収され、社勢は一気に衰えていった。
その理由もはっきりしない。
誰か教えて。。
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