三重県志摩市
主祭神:天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)
創立は2千年前、垂仁天皇の第4皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)は、神託により天照大御神を祀る場所を伊勢の五十鈴川河上と定めた。
これが、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の始まり。
伊雑宮はその別宮にあたる。
14社存在する別宮で、唯一伊勢国以外で、唯一神田をもつ神社である。
なぜ、一社だけ志摩国にあるのか。
鎌倉時代に編纂された伊勢神宮の神道書「倭姫命世記」に、伊雑宮ができるまでの経緯が書かれている。
倭姫命の30年に渡る長旅を経て、天照大御神が五十鈴川に祀られることとなり、伊勢の地は祝賀ムード一色になった。
大勢の人がその大業を称え、祝福したが、倭姫命に休む暇はなかった。
理由は、天照大御神への捧げる神饌(しんせん/お供え物)を調達する必要があったからである。
その量は膨大で、海の幸、山の幸など地域の特産物を安定して収穫できる場所、いわゆる御贄所(みにえどころ)を定めなければならない。
再び、航海に出た倭姫命は、鳥の鳴き声に導かれて、伊勢の南に位置する志摩国伊雑の地を見つけることとなる。
この説話は、神武東征に出てくる「ヤタガラス伝説」を彷彿とさせる。
「御食国志麻」と言われたこの地域は、古代より集落が形成され、稲作を中心とした農耕が盛んで、更には豊富な海産物にも恵まれていた。
倭姫命は、この地を神に捧げる食産物を収穫する御贄所(みにえどころ)とし、中心に社殿を建立した。
現在、125社を数える伊勢神宮の神事を、根っこから支える聖地となっている。
やっぱね、神様もちゃんとご飯食べなきゃね?
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