久しぶりに見た。
それは、福岡県糸島市の伊都国歴史博物館という1500年以上前の遺跡から発掘された国宝級の品々(国内最大の銅鏡とか)を数多く展示している施設の旧館2階「明治・大正・昭和の糸島のくらし」というほとんど誰も立ち寄らない展示室に飾ってあった。
わかるかな~。
そう、大塚食品「ボンカレー」
1968年(昭和43年)2月12日に発売された、世界初の市販用レトルトカレーの広告看板である。。
当時は夢のような話だった「牛肉100%」にこだわり、120℃で30分高温殺菌しても野菜や牛肉が煮崩れしないという味と食感にこだわった。
翌年、容器を半透明のビニールパウチから光と酸素を遮断するアルミ箔を使用した「アルミパウチ」に変更。
3か月が精一杯だった賞味期限を前代未聞の2年に伸ばした。
その時のパッケージ、CMに採用されたのが、この女性。
誰か知ってる?
名前は、松山 容子。
昭和期にテレビ、映画で活躍した女優である。
1937年11月30日、四国の松山市で銀行を経営する名家に生まれた。
愛媛県立松山南高校在学中、「アサヒグラフ」(1956年2月5日号)の表紙モデルになったのがきっかけで、卒業と同時に松竹からデビュー。
15年の華々しい芸能生活を経て、出演作品の原作者と結婚。
人気の絶頂期に引退した。
が、その後もボンカレーのパッケージモデルとして採用され続ける。
今年は、ボンカレーが発売されてちょうど50年目。
大塚食品は、使用野菜をすべて国産化した「ボンカレー50」を発表した。
パッケージモデルには、松山容子が再登場している。
ご本人は今も健在で、記念イベントには、ビデオメッセージを寄せている。
「ずっと皆さんにボンカレーさんと呼ばれていましたので、それが大変うれしい」と笑顔でコメントしていた。
愛媛には美人が多いね~。
以上、糸島の歴史とはなんも関係ない話でした。
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