糸島市の二丈方面、背振山系の西の端、の麓。
に、曹洞宗・龍国禅寺がある。
創建は、西暦1203年。
糸島一帯を治めていた原田種直(はらだたねなお:平清盛の長男、重盛の娘婿)によって建てられた。
最初の名前は、小松山極楽寺。
以後、1582年に現在の寺社名となった。
元々原田家は、代々大宰府の役人を務めた家柄で、平家政権の時代に日宋貿易の代行者にもなったとのこと。
当主になった種直は、絶頂期を迎えたあの平清盛の養女を正室に迎え、大いに栄えまくった。。まくった。
が、、、奢れるものも久しからず。
みなさんご存じ、壇ノ浦の合戦で、義経率いる源氏に惨敗。
平家の人々は方々に散らばり、重盛の内室と二人の姫君(千姫、福姫)は種直によって糸島の山ん中・唐原(とうばる)に匿われた。
が、すぐに見つかり命を絶たれる。
種直も領地を没収され、関東で幽閉の身になったが、鎌倉幕府誕生ともに赦免。
糸島にもどり、筑前国怡土を領地として与えられた。
その後、義父・重盛とその一族を弔うために建てられたのがこの寺である。
以後、戦乱や政変、天変地異などで、何度も衰退の危機を迎えた(大変だったのよ。寺は色々と。。)が、代々の住職と檀家によって支えられ、今日に至る。
いつ行ってもチリひとつ落ちてない境内。
副住職は、修行した本山・永平寺で「掃除の天才」と言われていた。そーな。
ところで、本堂の隅っこに平家の家紋が飾られてたんだよね~。
母方のと一緒。。。。