博多区住吉5丁目6-1市営住吉住宅の1・2階は住吉公民館だが、その入口左隣に少し大きめのシャッターで閉じられた車庫らしきものがある。
よーく見ると「博多消防団 住吉分団車庫」と若干強調の丸文字ゴシック体。
そう、この場所には消防車が格納されているのだ。
火事になったら119番、電話をかけると「はい、こちら防災センターです。どうしました?」と呼びかけられる。
繋がっているところは、市町村の常設防災機関・消防本部コールセンターである。
消防本部直轄の専門職員は、消防官と呼ばれ、その仕事を専門職として日々の任務にあたっている。
これに対し消防団は、それぞれ別の仕事を持ちがながら「自分たちのまちは自分たちで守る」という郷土愛を根幹とし、地域住民を中心に編成された組織である。
本業の傍らだが、団員として、消防・防災・救命救急に関する知識/技術の習得に努めつつ、地域の安全を守るため防火指導や広報活動などを行っている。
で、その報酬はというと、、年36,500円。。。
「誰がやんねん?」と慣れない関西弁が出てしまう人もいるだろうが、ちょっと聞いてほしい。
現在、本部直轄の消防官が全国で16万人に対し、消防団員の数はなんと86万4千人以上にのぼる。
理由はその歴史にある。
江戸時代の江戸、ご存じ(?)南町奉行・大岡越前守忠相(えちぜんのかみただすけ)が、1720年(享保5年)にとび職をを中心とした庶民による町火消しの組合「いろは四十八組」を編成、町中すみずみまで防災活動を拡げたのが始まり。
明治以降も、仕組みは残り、全国各地の消防職は半官半民で採用された。
私利私欲、地位名声ではなく、ただ単に地域の安全のため。
維新後に整備された郵便制度もそうだが、公の仕事(ボランティアともちょっと違う)に取り組む日本人のひたむきさは、世界史上あまり類をみない。
その後の戦争や災害など困難な時期にこそ、この制度が威力を発揮し、現在に至るまで、多くの生命や財産が守られてきたのである。
現在、福岡市には2,602人、博多消防団住吉分団には30人が所属し、住民の安全を見守っている。
以前、私が神奈川県の鎌倉に住んでいた時、隣の古民家が全焼したことがある。
その時、真っ先に駆けつけたのが、地元消防団の緊急車両3台だった。
離れた場所に避難していて、始めは気づかなかったが、よく見ると危険な消火活動にあたっていたのは、昼間から酔っ払っている腰越の漁師とか、長谷にある床屋の一見ひ弱な3代目とか、普段は無愛想な荒物屋のご主人とかだった。
以後、心がけていることがある。
「地元の居酒屋で、知らないおっさんに絡まれても優しくしよう。」
ひょっとしたらこのおっさんもと思うからだ。(どう見ても違う人いるけど一応ね。)
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