千葉県館山市
主祭神:天比理刀咩命
洲崎神社(すのさきじんじゃ)は、千葉県房総半島南端の西側に突き出た御手洗山にある。
そこは、東京湾の入り口で、正面には三浦半島と相模湾に浮かぶ大島、その向こう側に伊豆半島から富士山まで見渡せる大絶景ポイント。
祭神・天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)は、もうひとつの一之宮安房神社に祀られる天太玉命(あめのふとだまのみこと)のお后である。
古来より「洲ノ神(すさきのかみ)」と呼ばれ、漁の神、航海の神として地域の漁師や船乗りから厚く信仰されてきた。
歴史上、安房の国は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの地として有名である。
清盛を中心に平家がこの世の春を謳歌していた平安末期。
20年間伊豆で流人生活を続けた頼朝は、源氏再興の期して威勢よく挙兵。
したものの、直後の石橋山(現・小田原)の戦いで、ボロ負け。
退却、退却で相模国内を転々とした後、海へ脱出。
やっと落ち延びた場所が安房の国だった。
余談だが、この時協力した漁師たちは、鎌倉政権下で無税だったと伝わる。
安房にたどり着いて、真っ先に頼ったのが千葉常胤(ちば つねたね)。
桓武平氏の流れをくむ千葉一族だったが、常胤は頼朝に加勢することを決断。
相模でひどい目にあった頼朝一行に対して、
源氏の拠点は相模の鎌倉にすべし
と進言した。
もう一度、戻って戦え!
という意味である。
洲崎の浜から、富士山に沈む夕日を見ながら頼朝は考えた。。かも。
ちなみに、この提案がなければ源氏政権は鎌倉じゃなかったかもしれない。
たとえば、千葉に留まって船橋とか。
東に引いて宇都宮とか。。
船橋幕府とか宇都宮幕府とか。
そうなれば、教科書には船橋時代とか。
「いい国つくろう宇都宮時代」とか。。。
・・・根拠はありません。
とにかく決断、常胤の意見を受け入れた頼朝は、その後勢力を増強させ房総半島を制圧。
東京湾を右回りで進みながら勢力を増強。
房総半島を制圧した源氏の大軍勢は、平家打倒のリベンジマッチに打って出た。
今の鎌倉は、千葉のおかげ。か?
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