福岡市博多区「住吉神社」の名前の由来に触れてみたい。
奥は深いが、出来るだけ簡単に。。
歴史は、とんでもなく古い。
公式ウェブサイトには、創建1800年以上前とあるが、そんなもんじゃないよ。
この住吉の町は、かつて「住之江(スミノエ)」と呼ばれていた。
由来は、、
この辺にいた古代日本を代表する海人族
「安曇(あずみ)氏」
海人族(かいじんぞく、あまぞく)とは、漁業や海上輸送など、海での活動で大きな力を発揮した集団のことである。
彼らの出身は、インド・チャイニーズ系と南方インドネシア系の2系統と言われる。
で、安曇氏はというと、中国が、秦の始皇帝によって統一されるずっと前、
春秋戦国という諸国が20以上に分かれた時代、今の上海(シャンハイ)近くにあった「呉」という国の民だった、、らしい。
紀元前473年、呉は周辺諸国との争いに敗れ滅亡。
人々は海へ逃れ、ボートピープルとなり、安曇は日本列島を目指した。
五島や対馬を経て、博多湾にたどり着く。
話はここから。
彼らは、ただの難民ではなかった。
当時の日本人が見たこともない、いくつもの驚くべき技(わざ)を持っていたのである。
水田稲作、養蚕、そして神のごとき操船技術、等々。。
あっという間に地域を発展させ、人々に必要とされる「海の民」となった。
その安曇一族が、信仰の対象にした海の神「わたつみ」を祀った場所が、後に多くの人に崇敬される住吉神社になった(日本書紀とちょっと違う。。)というお話。。説。。
ちなみに「漢委奴国王」の金印は、一族の拠点だった志賀島から発見されている。
漢の皇帝から金印をもらい受けた奴国王の正体は、もしかしたら。。
ところで、当時の博多は神社以外ほとんどが海だった。
正確に言うと入江。
「安曇の入江」
から呼び名は変わり、
「安曇の江」
からの~
「スミノエ」
ってな感じである。
、からの「スミノエ」→「住吉」には、次のストーリーがあるが、今回はここまで。
ところで、
ここで紹介したいのは、西門前にある老舗の酒屋
「住吉酒販」
配達車に書かれている文字は
「酒に笑う人生」
全国各地を渡り歩き、心ある生産者から選りすぐりの商品を直接買い付け、福岡の酒好きに届けてくれる「間違いない」お店である。
絶品は数多いが、特にお勧めは、
地元糸島の白糸酒造「田中六十五」
言葉はいらない。
よかけん、飲んでみんね!
【外部リンク】
https://www.nihondaiichisumiyoshigu.jp/