神奈川県高座郡寒川町
主祭神:
寒川比古命 (さむかわひこのみこと)
寒川比女命 (さむかわひめのみこと)
創建時期は、極めて古く不詳。
1600年前の第21代雄略天皇の時代には、既に朝廷からの幣帛(神への捧げもの)が届いていた記録がある。
祭神について古事記、日本書紀の記述にはないが、二柱は寒川大明神と称され、相模を中心に関東一円の開拓を行った神と伝わっている。
「寒川」の語源は、高度な文化をもっていた古代朝鮮の言葉「寒河(サガ/私の家・社)」とも言われる。
が、大陸系渡来人の影響があったかどうかの真偽は定かではない。
ともかく、衣食住と豊か文化な文化を生み育んだ親神様として信仰を集めてきた。
また、神社の位置が、江戸城(現在の皇居)の南西の方角、いわゆる裏鬼門にあることから、関八州の守り神と崇められた。
ありとあらゆる悪事災難を取り除く、「八方除の神」でもあった。
八方塞がりでも大丈夫ということで、今も厄除払いの祈祷者数は日本一である。
ところで、神社の所在地は神奈川県高座郡(こうざぐん)だが、高座の「高」は、かつて朝鮮半島にあった「高句麗」の「高」から取ったものではないかという説がある。
であれば、やはり大陸からの影響を強く受けた可能性が高い。
しかも、そのエリアは、湘南海岸一帯から内陸まで、現在にあてはめると江の島境川を東端に藤沢市、相模原市、大和市、蛯名市、座間市を含む広大なものだった。
寒川神社は、その中心的役割を果たしていたのである。
丹沢山系の砂鉄を多く含んだ土砂を運ぶ酒匂川一帯は、昔から製鉄が盛んだった。
そこでは大陸の先端技術が大いに生かされたのかも知れない。
あの高倉(たかくら)健も映画撮影の度に参拝していたというが、名前のことで何か関係あるのだろうか。
本名は、小田 剛一(おだごういち)だけと。。
【外部リンク】
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