博多区住吉の隣には、博多駅前3丁目という一大ビジネス街がある。
今回は、そこに密集する飲食店のひとつ「手打ちめん房・良寛」について。
創業37年、老舗である。
無駄なコメントは必要ない。
我が家の年越しそば、いつもココ。
なんで九州で良寛?
知らん、良寛ファン(マニア?/かぶれ?)は全国におる。
大将もそのひとり。
良寛は、江戸時代後期に生きた禅宗の僧侶(1758~1831)である。
現在の新潟県三島郡の旧家に生まれ、なに不自由なく育ったのに18歳で突如出家。
15年以上におよぶ厳しい修行の後、諸国を巡る旅に出る。
48歳の時、今の新潟県燕市内に五合庵という住居(はっきり言って掘立て小屋)を構え、そこで暮らすようになる。
端から見れば、極貧生活としか見えないのだが、当の本人からすれば、何事にもとらわれず、何者にも煩わせることもない毎日であった。
そんな中、平安時代の書物「秋萩帖(あきばじょう)」を手本に、独学で書を学び始める。
書の達人と言われるようになった良寛は、72歳までの生涯で、和歌、漢詩、狂歌、俳句など、多くの作品を残した。
「上手に見せよう」ではなく、「ひとつの点」「ひとつの棒」その位置の僅かなズレが文字の命を奪う。
そんな際どい瀬戸際の筆運びが、良寛独特の書法と言われ、現在の書道家が見ても「超ヤバイ」らしい。。。
「子供の純真な心こそが誠の仏の心」
子供達と遊ぶのが大好きで、かくれんぼや手鞠など、せがまれれば日が落ちるまで。
偉い人からの書の依頼は断ったが、子供から頼まれた「凧に文字」は喜んで書いた。
まったくの無欲、生涯自分の寺は持たず、民衆に対して難しい説法もしない。
質素な生活の中、簡単な言葉だけで仏法を説き、人々の心を豊かにしていった良寛。
そんな人物が残した生涯最後(時世)の句。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
いやまあ、ほんとに、、、たまらん。
「写真と文章、関係ないやん」
とか言わないで。。
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